CB750F 諸元
発売年 | 1979年 | 生産 | 国内 | 全長 | 2190mm |
全幅 | 795mm | 全高 | 1125mm | 重量 | 247kg |
最高出力 | 68PS / 9,000rpm |
最大 トルク |
5.9kg·m / 8,000 rpm |
エンジン | 空冷4ストローク DOHC4バルブ 並列4気筒 |
排気量 | 748cc | 諸元表は1979年当時のものとなります。 |
1981年、若き日の私は偶然の出会いから、大型自動二輪免許を持っていないにもかかわらず、CB750Fの限定車BOL D’ORを購入してしまった。
それほどまでに、このバイクは魅力的だったのだ。
CB750FOUR 大ヒットからの進化
――1969年にホンダが発売したドリームCB750FOURは、市販量産車初の4気筒エンジンを搭載し、最高速度200km/hを現実のものとする圧倒的な性能と、ビッグバイクファンを納得させる威風堂々のスタイルも相まって、バイクマーケットの主戦場であるアメリカを始め、全世界で大ヒット。
そして、越えるべき壁であった英国製の大排気量スポーツ車をことごとく駆逐した。
しかしCB750FOURの成功を、日本のライバルメーカーが傍観していたわけではない。1972年にはカワサキが海外向けに900Super4いわゆる「Z1」を発売し、73年にはメーカー自主規制による国内販売の排気量上限に合わせた750RS「Z2」が登場。次いでスズキが1976年にGS750を発売し、78年には海外向けにGS1000をリリース。これらのバイクはいずれも4気筒であり、動弁方式にDOHCを採用した(CB750FOURはSOHC)。そしてヤマハは1976年に、3気筒DOHCエンジン+シャフトドライブという独自路線のGX750を発売し、海外向けには4気筒のXS1100を1978年に販売開始した。
ライバルメーカーの猛追に対し、CB750FOURも毎年リファインを重ね、1975年にはよりスポーツ度を増したCB750FOUR-Ⅱを、77年以降には二輪車初のホンダマチック機構(オートマチック)を備えたEARA(エアラ)をラインナップに加えるが、苦戦を強いられたのも事実。そしてCB750FOURの登場から10年を経た1979年、ついに完全刷新したCB750Fを発売したのだ。
時間を遡ると、ホンダは1959年に初めてマン島TTレースに参戦以来、60年からは世界GPのシリーズ参戦も開始し、なんと66年には当時開催されていたサイドカーを除くすべてのクラス(50/125/250/350/500cc)でメーカータイトルを獲得。完全制覇といえる成果から、翌67年にはシーズンでGP活動を一旦休止した。
そしてGP活動休止後は、レースのフィールドをヨーロッパ耐久選手権に定め、1976年から挑戦を始める。CB750FOURのエンジンをベースとしたワークスマシンRCB1000はデビュー戦で優勝し、その後も快進撃を続け、あまりの強さから「浮沈艦隊」と呼ばれた。そして、このRCBと並行して開発されたのがCB750F/900Fだ。
革新的なデザイン性
エンジンは国産市販車初のDOHC4バルブを採用。1気筒当たり吸気バルブ2本/排気バルブ2本の4バルブ、合計16バルブは吸気充填効率の向上と共に、燃焼効率に優れたペントルーフ型の燃焼室によって高回転・高出力化を図った。これらはもちろん、ワークスマシンRCBからフィードバックされた技術である。
足周りにおいても画期的なメカニズムを投入。ホンダが独自に開発したリヤサスペンションの「F.V.Qダンパー」はプリロード調整に加え、3段階の伸び側減衰力と2段階の圧縮側減衰力の調整機構を備えたフルアジャスタブル。減衰特性を走行シーンやライダーの好みに合わせて調整する機構は、現代の高性能スポーツ車では標準的な装備だが、CB750Fは時代に先駆けて取り入れていた。
ホイールもRCBからフィードバックした「コムスターホイール」を装備。現代のロードスポーツ車で一般的なアルミのキャストホイールは、1970年代後半から市販車への採用が始まっていた。しかし当時のキャストホイールは従来のワイヤースポークホイールより重量があり、安全度も低かった。そこでホンダはハブとリムをプレートで締結する、軽量で高剛性のホイールをレース用に開発する。さらに当時のキャストホイールはタイヤチューブを必要としたが、コムスターホイールはバイク用で初めてチューブレスタイヤを装着した。
ちなみに初めてコムスターホイールを装備したのは1977年のCB750FOUR-Ⅱだが、スポークプレートは鉄製。しかしCB750Fのコムスターは軽量なアルミ製のプレートを採用し、早くも進化版となっていた。
しかしCB750Fが革新的だったのは、強力なエンジンやハイスペックな足周りだけではなく、そのデザイン性に目を見張るものがあった。最たるのが、燃料タンクからテールカウルまで流れるような一体感を持つ「インテグレーテッド・ストリームライン」だろう。
バイクには様々なデザインが存在するが、CB750F以前は「燃料タンク」、「サイドカバー」、「シート」、「シートカウル」はそれぞれが独立した形状だった。ところがCB750Fはエクステリアのすべてのコンポーネントを一体化するデザイン手法を取った。燃料タンクとサイドカバーの連続的な構成などは、現代バイクのデザインのセオリーといえるほどメジャーだが、それほどCB750Fのデザインは後世のバイクに与えた影響が大きいのではないだろうか。
秀逸なデザインは細部にも及び、2連式のメーターは航空機の計器をイメージさせる文字盤に加え、光の反射を防ぐツヤ消しガラスを採用し、速度計と回転計に挟まれるインジケーターの配置や形状もビジュアルに長けている。また当時のバイクはキャブレター仕様のため、冷間時のエンジン始動用に吸気ガスを濃くするチョーク機構を備えており、大抵はキャブレターに直接チョークレバーを装備していた。しかしCB750Fのチョークはリモート式で、ハンドルの左側のクラッチレバーホルダー部にチョークレバーを配置。操作性の良さはもちろん、メカニカルな形状もバイクファンの琴線に触れた。
そしてジュラルミン製のセパレートハンドルも既存の常識を覆す。当時の市販バイクのハンドルはスチールのパイプを曲げたものが一般的だったが、CB750Fはトップブリッジから突き出したフロントフォークに左右で独立したハンドルをクランプ。そのCB独自のコクピット感は、新時代のバイクを強くイメージさせた。とはいえ当時は車両法による規制も厳しく、「左右別体のハンドル」が認可を受けるのは相当な苦労があったという。
ビックバイクの価値観を変えた存在
私は当時、大阪の大型バイク用品店に展示されていた、1979年の発売間もないヨーロッパ向け輸出車のCB900Fを目にしている。国内販売のCB750Fがラインナップしていない赤いペイントも非常に魅力的で、CB400Fに乗っていた少年の私にとって、隔世の感を禁じ得ない衝撃的なバイクだった。
ところが1981年、まだレースに興味もない頃、偶然通りかかったバイクショップに、CB750F(最初期の1979年FZ)の限定車「BOL D’OR」が置いてあるのを見つけてしまったのだ。あのCB900Fと同じ赤のペイントで、しかもなぜか新車だった。“コレしかない!”という想いを抑え切れず購入の契約をし、それから頭金を用意するためのアルバイトにいそしみ、ナナハンに乗るための大型自動二輪の限定解除の試験を受けた。
免許を取り、晴れてCB750Fが納車されてからは毎日のように六甲に走りに行くようになり、そこでは様々なライダーたちにも出会った。また、丁寧で確実なブレーキ操作の方法も、このバイクで覚えたといって過言ではない。
このようにCB750Fは、当時は免許制度によって大型バイクのハードルが極めて高かった時代にもかかわらず人気となり、多くのライダーの憧れの的となった。CB750Fに乗りたいがために、私のように苦労して限定解除したライダーも少なくないだろう。CB750Fは、ビッグバイクの価値観が排気量の大きさだけでなく、性能とスタイルの時代に転換したことを知らしめた一台なのだ。