CBX400F 諸元
発売年 | 1981年 | 生産 | 国内 | 全長 | 2060mm |
全幅 | 720mm | 全高 | 1080mm | 重量 | 189kg |
最高出力 | 48PS / 11,000rpm |
最大 トルク |
3.4kg·m / 9,000 rpm |
エンジン | 空冷4ストローク DOHC4バルブ 並列4気筒 |
排気量 | 399cc | 諸元表は1981年当時のものとなります。 |
このバイクに出会わなければ、レーサーとしての宮城光はもちろん、今の自分も無かった。
そう断言できるほど、CBX400Fは私の人生を決定づけたバイクだ。
ホンダ4気筒の復活劇
――日本が空前のバイクブームに沸いた1980年代初頭。400ccクラスは「4気筒エンジン」が一大ムーブメントとなっていた。
その中でも突出した性能と最新メカニズムを満載したCBX400Fが絶大な人気を誇っていた。
ホンダは1969年発売のドリームCB750FOURを筆頭に、71年にCB500FOUR、72年にCB350FOURを揃えることで「4気筒シリーズ」を確立。
そして74年にはCB350FOURの排気量を408ccに拡大し、カフェレーサースタイルを纏ったCB400FOUR、いわゆる「ヨンフォア」を発売した。
ところが1975年の免許制度の改正により、それまで制限のなかった自動二輪免許が、400cc未満までの「中型限定自動二輪」と125cc未満までの「小型限定自動二輪」に細分化された。多発した大排気量バイクによる事故の抑制を目的とした改正だが、自動二輪免許は運転免許試験場での「一発試験」でしか取得できなくなり、その合格率は極めて低かった。そのためCB400FOURも免許制度に合わせて398ccモデルを開発し、408ccモデルと併売した。
当時、400ccで唯一の4気筒モデルであるCB400FOURは人気を博したが、製造コスト的に厳しいものがあり、国内向けモデルは1976年に生産終了。翌77年に新技術を投入した2気筒エンジンを搭載するホークⅡ(CB400T)を発売するが、この時点で中型限定免許で乗れる4気筒バイクは無くなってしまった。
しかし2年後の1979年、カワサキが4気筒エンジンを搭載するZ400FXを発売。久々の4気筒、そしてバイクブーム到来のタイミングとも合致してZ400FXは大ヒット。そして80年にヤマハがXJ400、次いで81年4月にスズキがGSX400Fを発売し、一気に4気筒人気に火が付いた。
その状況下、ホンダファンはCB400FOURの再来ともいえる4気筒モデルを待ち望み、ホンダはその声に応えるべくライバル車を凌駕する圧倒的な性能を持つ新型4気筒を開発。満を持して1981年11月にCBX400Fを発売した。
世界初の走行性能を追求
新開発の空冷4気筒DOHC4バルブエンジンは、クラス最強の48馬力を発揮。クランクシャフトからトランスミッションへの一次伝達はプライマリーチェーンを採用し、極力エンジンをコンパクトに仕上げるため3-4番気筒のクランク間に配置。これによりクランクシャフトは通常と逆回転になり、コーナリング特性に優れるハンドリングを得た。
さらに低重心化とシート高を下げるためエンジン底部のオイルパンを小型化し、エンジンオイル容量を確保するためにオイルクーラー(当時ホンダはオイルリザーバータンクと呼んだ)を装備。エキゾーストパイプをCBXの“X”を象徴するようクロスさせたのも特徴的である。
足周りも数多くの新技術を投入。リヤサスペンションはプログレッシブ効果と路面追従性に優れるリンク式のモノショック「プロリンク・サスペンション」を市販ロードスポーツに初採用し、市販量産車世界初の中空アルミ鋳造製スイングアームを装備。フロントフォークおよびリヤショックはセミエアタイプとなる。
制動力とコントロール性に富んだ鋳鉄製のベンチレーテッド式のディスクローターを内蔵する「インボード・ベンチレーテッド・ディスク・ブレーキ」を初採用し、フロントフォークとブレーキにセットされるブレーキトルクセンサー型アンチダイブ機構(TRAC)も世界初の装備。
ホンダ独自のコムスターホイールは、軽さを追求したブーメランコムスターとなり、ライバルの4気筒モデルが全車フロント19インチなのに対しCBX400Fは18インチを採用。
メーターはCBX1000を踏襲する3眼タイプで(CBX1000は中央が電圧計だが、CBX400Fは燃料計)、ハンドルはジュラルミン鍛造製のセパレート(シフトペダルとチェンジペダルも軽量で高強度なジュラルミン鍛造製装備)。
ヘッドライトも大径で60/55Wのハロゲンと、クラスを超えた豪華な装備を誇り、ホンダのウイングマークを型抜きしたメインキーなど細部まで拘った作りとなる。ウインカーと一体化したテールランプの意匠も、バイクのデザインに一石を投じた。
車両重量も400cc4気筒で最軽量、クラス最強のパワーとコンパクトで低重心なエンジンと合わせ、運動性能の高さは群を抜いた。
その性能はサーキットでもいかんなく発揮され、CBX400Fの登場によりTT-F3レースや鈴鹿4時間耐久レース(当時は2ストローク250cc/4ストローク400cc)は驚異的な盛り上がりを見せた。
そしてホンダのレース部門であるRSC(現在のHRCの前身)からCBX400Fのレース用のキットパーツや、それらのパーツを組み込んだRS400Rというレーシングマシンも販売され、各地のレースで活躍。またアフターパーツメーカーからも集合マフラーやバックステップなど多くのパーツが発売され、レースだけでなくバイクのカスタム文化も大いに加速した。
人生に影響を与えたバイク
私は1981年当時、CB750Fで箕面や六甲のワインディングを走って楽しんでいたが、時代はバイクブームの盛り上がりと共にサーキット走行やレースなどに向かっており、私の興味もそちらに傾いていた。そこで“サーキットを走るなら最高性能のバイクで”と考え、11月に発売されたばかりのCBX400Fを手に入れた。
そしてサーキットを走り始めて1カ月ほど、1982年1月に初めて参戦したレースで、200台余りもエントリーする中、ほぼノーマルのCBX400Fで3位になり、表彰台に乗ることができたのだ。
このレースを見ていたヤマモトレーシングやモリワキエンジニアリングの方たちから声をかけて頂き、私は本格的にレースを始めることになった。翌83年はモリワキのライダーとして全日本選手権F-3(400cc)のチャンピオンを獲得し、鈴鹿4時間耐久レースで総合優勝することができた。この時のマシンは、モリワキのオリジナルフレームにCBX400Fのエンジンを搭載した「モリワキ・ゼロ」だ。CBX400F、そしてそのエンジンが持つポテンシャルが、私を本格的なレースに導き、その世界で生きることを決定づけたのだ。
私以外にもCBX400Fでレースを始めたライダーは少なくないだろう。またレースと関係無くても、このバイクでライダーとなり、後の人生に影響を受けた人もいるのではないだろうか。
今もなお衰えぬ人気
1982年に国内でのカウリングの認可が下りたことから、日本で初めて本格的なカウリングを備えたCBX400Fインテグラがラインナップに加わる(82年7月)。しかし翌年の1983年12月に発売したニューモデルのCBR400Fに引き継ぎ、CBX400Fは生産を終了。人気の高さにも関わらず2年余りでモデルチェンジしたのは、過熱するバイクブームやレースの激化に対応するため、各メーカーが極めて短いサイクルでスペックを高める必要があったからだろう。ここから400ccクラスのレーサーレプリカ化が急速に進んでいくが、そのきっかけを作ったのもCBX400Fの高い性能だったといえるだろう。
ところが、より高性能なCBR400Fが販売されたにもかかわらず、CBX400Fの人気は衰えることが無く、再販を望む声が大きかった。そこでホンダは生産終了から約1年後に再生産を行い、1984年10月にマイナーチェンジ版でカラー変更したCBX400Fを再販売した。このことからもCBX400Fの需要の高さを伺えるが、その人気は今なお続いている。