水素バイクによる“2スト復活”を熱く語る!内燃機加工会社、井上ボーリング井上社長インタビュー!
公開日:2024.05.20 / 最終更新日:2024.05.23
バイクの未来に切り込んでいくコンテンツを発信する『バイク未来総研』。
今回は、埼玉県川越市にある内燃機加工会社で、水素で走るバイクを制作したことで以前マスメディアに多く取り上げられた(株)井上ボーリングの井上社長に、水素バイクの誕生秘話や、“減らないシリンダー”として話題となっているICBMについて等、お話を伺いました。
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創業期は食いっぱぐれない技術が内燃機屋だった
―井上ボーリングの歴史はどういうところから始まったのでしょうか。
「1953年に創業し、昨年創業70周年を迎えました。創業の頃は終戦からまだ8年しか経っていませんから、荒廃した日本で家族を食べさせていかなきゃいけないという状況の中で何ができるだろうって考えた時に、父は戦前からタクシーの運転手をやっていましたので、エンジンとかに詳しかった訳です。戦争中も整備等を軍でやっていたようなので、その技術を使ってなんとか食っていこうと思って、家族を養う方法として、自動車とかを直そうと考えたのだと思っています。
当時、一般的な自動車修理をやってしまうと結構ライバルが多かったので、精度が高く技術が必要になるエンジン部品を直そうと考え着きました。
内燃機屋というのは、戦後に多く日本で生まれていきました。父の代の30年はモータリゼーションが盛り上がりを見せて、戦後に車がなかった状態から膨大な車が日本で走るようになり、その間が実は内燃機屋の黄金期でした。ただ、そこから僕の代になった頃には既に斜陽産業でした。
―そこからどう立て直したのですか。
工場が3つあったのですが、その時は大量受注を受けて量産をやりました。
僕は当時製造部の仕事を盛り上げなきゃいけないと思って営業を頑張りまして、ホンダさんのシリンダーの受注に成功しました。そこからこの工場はもうホンダさんのシリンダーの仕事ばかりやるような工場に一時はなったぐらいです。
ICBM誕生秘話。制作期間12年!記念に作った試作品がまさかの!?
―現場仕事をこなしながら営業活動をがむしゃらに行ったのがその頃ですね。そこからどのような経緯でICBMは誕生したのでしょうか。
「2ストロークの仕事を一生懸命やっていましたが、下請け仕事はこれからだんだん減っていくだろうという事で、もう一回原点回帰してボーリング※の仕事を再開しようと考えました。
ボーリング屋をもう一回やろうって考えた時に、ただ昔ながらの内燃機加工が上手にできますよというだけではダメだと思いました。
※ボーリング・・・機械加工でシリンダー内壁を削り取り、磨耗したエンジンのシリンダーを再生させる作業
なにせ当社はホンダさんのお仕事で、内径メッキのシリンダーをたくさん加工していましたから、鋳鉄はもう過去の技術で、新しいオートバイはメッキで作られているという事をよく知っていた訳です。
鋳鉄をいくら僕らが上手に精密に加工してもシリンダーの内径は減っていってしまう訳です。そこでメッキでシリンダーの内径を構成することはできないかと考えました。
―簡単にそんなことができるのでしょうか。
「いえ、メッキってものすごく硬いので、仕上げができるところってまずないんです。当社では仕上げ作業のホーニング※の経験もあったので、当社の技術であれば“減らないシリンダー”が実現できるのではと思いました。」
※ホーニング・・・ボーリング加工した後、シリンダー内壁を研磨する作業
―そこからは早かった訳ですか。
「いえいえ。そこから実に12年かかりました。
ホンダさんが制作しているようなメッキが間違いないのは分かっていましたが、それを全部自分たちでやろうと思うと莫大な経費がかかります。治具(ジグ)※も作らなければいけないし、電気メッキというメッキ技術を使う際の電極も必要になる。
※治具(ジグ)・・・加工をする際に、パーツの位置決定等を正確に行うためにパーツを支える加工ガイダンスの役割を担う道具
ただ、それら治具(ジグ)や電極を使わずに同じようにできる技術がいくつかあるのですが、それを仕事の傍ら順番に試していった訳です。」
―12年、ですか。大手メーカーのお墨付きの技術を持った井上ボーリングでも、独自のアルミメッキシリンダー制作技術を持つことは簡単ではなかったのですね。
「日々の仕事をこなしながらになりますので、どうしても仕事の傍ら試行錯誤することになります。全く同じメッキを使って同じ仕上げをして、メッキの前加工も同じにして、完成したと思っても、今度はそれを再現できなかったり。困難を極めました。
どんな手法を使ってもダメだったので、もう諦めようと思いました。当時、ヤマハRZ、ホンダのNSRのシリンダー加工を引き受けていましたが内径がともに54mmでしたので、最後に予算をかけて、記念で54mmのアルミメッキシリンダーを作ってみようという事にしました。
内径が同じ54mmで、この筒を一から外側も一緒に作って加工するようメッキ屋さんに頼み込みました。
そしたら内径54mmであれば1個治具(ジグ)を作れば他にも応用がきくのでは、という事が分かり、そこからはいくつもの困難も「こうすればよいのでは」と解決し、トントン拍子に進み、ついにはアルミメッキシリンダー制作技術の確立に至りました。現在では9種類ぐらいの治具(ジグ)がありますので、内径42mmから100mmまで制作が可能となっています。」
―記念に作ったシリンダーがまさかICBM誕生のきっかけになっていたとは驚きました。
このICBMというネーミングはどこから来ているのでしょうか。
「売り出そうと思った時に“アルミメッキシリンダー”というだけではあまりインパクトがない。ICBMは“井上ボーリング(I )シリンダー(C)ボア・フィニッシング(B)メソッド(M)”でICBMなんですが、ほぼ摩耗しないと言える製品であるため、最終兵器という事で名付けました。ただ当時はそんなにウケなくて。
それから時が流れてICBMというミサイルがニュースで騒がれるようになってきた頃からウチの商品もたまたま時を合わせて売れるようになっていった、という感じです(笑)」
ICBMだけじゃない!最先端の3Dプリンタ技術に注目!
―3Dプリンタ技術に注目していると聞きました。どのような技術でしょうか。
「僕らが今やろうとしているのは、古い部品を復活させようということです。
3Dスキャナーがありますので、3Dスキャナーでパパパッと光を与えながら物体を回転させてそのモデルをコンピューターの中に取り込むことができるんですね。
ただ、形として存在しているものを「これは面になっている、ここは円筒」といったように形状として定義する手間がかかることはあります。その後、コンピューターの中でモデルが完成すれば、マシニングセンターという機械を動かすプログラムを自動で吐き出してくれるというものです。
たとえば30年前、40年前のイギリス製のシリンダーで形だけは残っている、という物があれば、どんなシリンダーでも復活できるはずなんです。」
―それは画期的な技術ですね。
「金属さえあれば取り込んでコピーして削って作ればよい訳です。ところが2000年以降は皆コンピューターで動いています。コンピューターが直せなければもうバイク自体の修理が難しいかもしれないですね。僕らが扱っているのは絶版車なので、機械がメカニカルに動いているエンジンが対象です。よって絶版車は、未来永劫残せる可能性があると思っています。」
―夢がある話ですね。
「機械式の時計だとか、フィルムカメラだとかは物さえあれば修理できるかもしれません。オートバイだとちょっと頑張れば自分でスパナとドライバーがあれば自分でバラして、また組み立てることもできる訳です。ただボーリングまでは個人ではできないと思いますので、私共がお手伝いをするんです。」
―絶版車をお持ちの方、これから絶版車をほしいと思っていらっしゃる方にはよいニュースですね。物か設計図さえあれば復活できるのでしょうか。
「はい。ただ、現実的には今の段階ではコストがかかりすぎるところがありますので、金額的に折り合いがつかないのです。ついこの間、カワサキ 750 SS (H2)の3気筒のシリンダーを作って100万円で買っていただいたんですけど、でも100万円ぐらいだと採算が合わない訳です。普通の商品販売までは難しいですが、クラウドファンディングなら成立するところまでは来ています。」
▼カワサキ 750 SS (H2) 3気筒シリンダーヘッドのクラウドファンディング詳細はこちら
https://www.makuake.com/project/ibg/
古いバイクを新しく作ることはできませんので需要はどんどん上がっていきますが、私共は作る側がコストダウンを進めていくべきで、コンピューターの技術進化により、プログラムが作りやすくなればコストも下がっていきます。
いつかビジネスとして成立する時代が来ると思ってはいるのですが、現在はまだ採算が合わないっていうところですね。」
ICBMの永久無償修理をつけた経緯
―ICBMの永久無償修理はどのような経緯でつけることになったのでしょうか。
「パテック・フィリップっていう老舗時計メーカーがあるのですが、どんな大昔の時計でも有償ですが永久に修理をします、と言っているのを見て『これかっこいいなぁ。』と感じたのがきっかけです(笑) 違う点としては、私共は無償である点です。」
―なぜ無償なのでしょう?
「“減らないメッキシリンダー“を謳っているのですが、その自信からです。2016年頃からこれまでに900件以上納品させていただいていますが、お申し出はゼロです。ぜひ一人でも多くの方に摩耗しない、減らないシリンダーを体感いただきたいと思っています。」
―注文はバイク専門店からが多いのでしょうか。
「いえ、古いバイクをお持ちの方で、個人の方からの注文が一番多くなっています。インターネットから受付していますので、検索して来られる方が多いのだと思います。車検の際などご心配であればご相談いただければと思います。」
▼ICBM詳細・問い合わせ窓口
http://sotaros.juno.bindsite.jp/icbm/index.html
社員は残業ゼロ?働き方改革と言われる前から残業をなくしていたワケ
―先程、社員の方とお話していたら残業ゼロだと伺いました。
「はい。これは自分たちにできる仕事を、量で勝負していくと限界があると思っていたからです。200が220、240になるかもしれませんが、400、500にはならない訳です。
あとは残業している時には生産効率が落ちます。
では、なぜ残業すると効率が落ちるのかと考えると、結局は働いている人たちのモチベーションが落ちるからだと思うんですね。17時までに帰らなきゃいけない、でも納品しなければいけないというのが決まっていれば、人はなんとか17時までに完了させる方法を考える訳ですね。仕事があってもなくても、2時間残業すると決めていると、日中の仕事のペースが無意識的に落ちていると思っています。
やっぱりそこのスイッチを切り替えて、なんとか同じ時間内で生産が上がる方法を考えるのが大切というか。
最初は話し合いをして徐々に決めて行ったのですが、土曜日出勤だったところを隔週で土日休みにしても上手くいき、最終的に完全週休2日でも仕事が滞ることはなくなりました。
給与や余暇なども含めて社員の皆がモチベーション高く働いてもらえるにはどうしたらよいかを考えた結果、自然とそうなっていったという感じです。」
話題の「水素バイク」2号機を制作中!2号機を作ろうと思った理由とは?
―今現在、車両メーカーでは水素エンジンが話題となっています。それに10年以上先駆けて内燃機販売店が水素エンジンを実用化したことでメディアからも取り上げられました。
水素で走るバイクは今どのような状況でしょうか。
「1号機は2006年頃に走るようになっていました。その頃は「水素でバイクが走る」と言っても世の中の関心は薄かった。
その後ちょっと停滞していましたが、世の中も大分水素燃料のモビリティに関心が出てきた事を受けて、もう一回水素バイクの研究を始めようという事で、現在は2号機を製作している所です。」
―何故2号機を?
「1号機はTY250を改造して作り水素燃料で走るようになりましたが、1号機では不正爆発というものをかなり減らすことができたのですが
当時はそれを理論的にゼロにすることができないという事が分かってしまった。それで停滞していたのですが、今回、2号機はその不正爆発をゼロにできる方法を考えつきまして、2号機を作ろうという事になりました。実は水素を燃料の下で爆発して走るエンジン作ること自体はあんまり難しくないんですよ。
―そうなのですか!
「難しかったらやろうとは思えませんから(笑) 取り組んでいると実際簡単に走るんですが、不正爆発をゼロにするのが難しくて。ただ、ちょっとトリッキーな方法で、去年、思いついちゃったんです(笑)」
―今はそれを試している段階でしょうか。
「今は部品がだいぶ削ってあって、これからエンジンを組み立てて、最初はガソリンで試そうという段階ですね。」
―水素バイクはそもそもなぜ作ろうと思ったのでしょうか。
「これは2ストを後世に残していきたかったという想いからです。2ストはパワーがあるし、軽いし、シンプルだし、すごい優れたエンジンなんですが、排ガス対策が困難だった背景があります。それを水素で燃やしたら欠点がなくなる訳です。それから20年が経ち、2ストどころかエンジンがなくなってしまう未来が見えて来ているので、また開発を再開しようという運びとなった訳です。」
―コストもかかると思うのですが。
「これもありがたいことにクラウドファンディングで多くの方の支援により、完全とまでは行きませんでしたが資金が集まりました。支援者の皆さまに感謝してもしきれない想いです。」
▼水素バイク2号機クラウドファンディングの概要はこちら
https://camp-fire.jp/projects/view/655105#menu
夢は“ユートピア”ができること
―最後となりますが、井上社長からはお話していてもパワーをいただける方だなと感じています。そんな井上社長の今後の夢があればお聞かせください。
「夢ですか。世界がこうなればよいなという想いはあります。色々なところで話をしているのですが、300年くらい経てば地上にはユートピアが実現するだろうと思っているんです。」
―ユートピア、ですか。
「はい。今ですらソーラーパネルをゴビ砂漠の半分に敷き詰めれば、人類が必要としているエネルギーが全部賄えるんです。計算上は絶対アクセク働かなくても誰もが暮らせる世の中を僕らが工夫すれば作れるはずです。
AIを使って車は無人工場で作ってもらえばいいし、必要なものは労力をかけずに全部作ればいいじゃないですか。
ベーシックインカムという考え方も出てきていますが、一方で既得権益の問題もありますので人間の考えの方が成熟してきて大体300年くらいかなという(笑)
少し壮大な話ですが、争いもなく人々が平和に暮らす、そんな世の中が来てほしいというのが夢というか、僕が切に思っていることです。」
■取材協力
(株)井上ボーリング
https://www.ibg.co.jp/