※画像は1982年~のRCです。

CB1100R 諸元

発売年 1981年 生産 国内 全長 2115mm
全幅 770mm 全高 1340mm 重量 235kg
最高出力 105PS /
9,000rpm
最大
トルク
9.05kg·m /
7,500 rpm
エンジン 空冷4ストローク
DOHC4バルブ
並列4気筒
排気量 1062cc 諸元表は1969年当時のものとなります。

初めて所有したバイクはCB400FOUR、そしてCB750Fに乗り継いだ私にとってのCB1100Rの存在、とくにフルカウルを纏った[RC型]は、まごうことなき「CBの頂点」で絶対的な憧れがあった。しかし、その存在はあまりにも遠かった……。

CBシリーズの頂点 CB1100R

――ホンダは1969年に発売したドリームCB750FOUR、そして10年後にリリースしたCB750F/900Fで世界的な大ヒットを収めた。遡れば1959年に初めてCBの名を冠した125ccのベンリィCB92スーパースポーツからの20年間で、ホンダは50ccから900ccまで数多くのCBを生み出してきた。そのCBの頂点たるバイクがCB1100Rである。

バンク角確保のため、下面の角を落としたゴールドのカバー

欧州において1979年に発売したCB900Fの人気は盤石ではあったが、日本メーカーはヤマハがXS1100、スズキのGS1000、カワサキもZ1の排気量を拡大したZ1000をリリースしていた。いずれも排気量で勝る1000ccクラスであり、後に登場するであろうライバル車がさらなるパフォーマンスアップを狙ってくるのは明白なだけに、ホンダも強力な次期モデルを模索していた。誰もが認める素晴らしいバイクをホンダが有することを最大の目的とし、それがスポーツバイクならば市販車を用いるレースで必ず勝利する。その明確なコンセプトのもとにCB1100Rは開発された。

CB1100R
CB1100R
CB1100R

レースで勝利する為の仕様

エンジンはCB900Fをベースにボアを拡大し、排気量は1062.2cc。耐久性に優れるセミ鍛造ピストンや専用のハイリフトなカムシャフト等を投入し、フルパワー仕様では115馬力を発揮し、ハイパワー化に伴う発熱に対応するため大型オイルクーラーを装備する。右のACGカバーと左のポイントカバーが、バンク角を増すために下面の角を落としているところもマニアの心をくすぐった。

車体は全日本選手権や鈴鹿8時間耐久レースに参戦していたホンダの社内チームのCB900Fレーサーを参考にディメンションを決め、車体の各部を補強。CB750F/900Fは整備性を考慮して右側のダウンチューブが着脱式だが、CB1100Rでは剛性を高めるために一体式にするなど大きく手が入れられた。減衰力の調整が可能なホンダ独自のF.V.Qダンパーのリヤショックは、リザーバータンク付きの専用品を装備する。

手作業で作られたFRP製テールカウル
レースレギュレーションに適合したアルミ製タンク

左右別体のセパレートハンドルはCB750F/900Fとまったくの別物で、高さや絞り角はクランプ部で調整でき、ハンドルバーの基部に設けたセレーションによって垂れ角の調整も可能になっている。ステッププレートは大胆に肉抜きした専用品で、ステップ位置も後退しているため、ライディングポジションはCB750F/900Fと大きく異なる。

アルミニウム製の燃料タンクは当時のレースのレギュレーションに適合する容量26Lで、1品ずつ手作業で製作。サイドカバーからテールカウルに連なるシングルシートはFRP製で、こちらも手作業で製作している。そして1981年の初期型CB1100R[RB型]は、CB900Fや6気筒エンジンを搭載するCBX1000と同形状の大型カウリングを装着。これも既存モデルはプラスチック樹脂製だが、CB1100RはFRP製となる。

RC以降カウリングに固定することになったメーター

レースでのデビューウィン

CB1100Rはプロダクションレースで勝つことも目的としたため、発売時期を1981年10月にオーストラリアで開催する「カストロール6時間耐久レース」をデビュー戦に定めていた。開発のスタートが1980年1月だったため、開発期間は例にないほど短かったという。レースのホモロゲーション台数に合わせるため、カウリングとステーの製作が間に合わず、最初期の100台はノンカウル仕様で販売。カウリングの形状が既存モデルと同じだったのも、新規に開発する時間が無かったためだ。

こうして世に出たCB1100Rは、目的通りにカストロール6時間耐久レースでデビューウィンを果たした。そして各国の各地で開催されるプロダクションレースでも好成績を収めたため、レースを目指す者はもちろん、最高性能のバイクを欲するエンスージアスト達の人気を集めた。

じつはCB1100Rは1981年の1年限りの限定販売モデルとして計画されていた。しかし販売継続を望む声が多く、その要望に応え82年モデルのCB1100R[RC型]が登場。開発時間の制約でRB型では実現できなかった部分にもしっかり手が入り、装備はいっそう充実した。

RC以降採用されたフルカウル
TRACが備わったフロントショック

エクステリアでは大型のハーフカウルから、前面投影面積が小さく空力特性に優れたフルカウリングに変更。メーターはRB型ではCB750F/900Fと同デザインでハンドルマウントだったが、RC型はカウリング側にメーターパネルを設けてマウント。ユーザーの要望が多かった二人乗り可能なタンデムシートを装備し、シングルシートカウルを装着した。

ホイールは裏コムスターからブーメランコムスターに変更し、前輪を19インチから18インチに小径化。この変更に伴い車体のディメンションも改める。リヤショックはバネ下荷重を軽減するためダンパーやリザーバータンクを上側に移動した倒立タイプに変わり、フロントフォークにはアンチノーズダイブ機構のTRACが備わった。

フロントブレーキは放熱性に優れるベンチレーテッドタイプを採用するが、軽量化が命題のバイクでは製作コストがかかるため装備車は数少ない。ブレーキホースはステンレスメッシュを装備。現代ではカスタムでもメジャーだが、当時は航空機しか使わないような特殊なパーツだった。

ブーメランコムスターとベンチレーテッドディスク

レースでのデビューウィン

こうして生まれ変わったCB1100Rは前モデルに増して注目を集めた。レーサー然としたフルカウルは現代のスーパースポーツ車では普通だが、当時はドゥカティなど極めて少数しかなく、しかも国内ではカウリングが認可されていなかった(国内認可は1982年中頃から)。また市販車で115馬力は当時最強で、これも大きな魅力だった。

しかし当時は「逆輸入車」は相応に特別な存在であり、しかもCB1100Rの販売価格は250万円を超えていた。同じ1982年に国内販売されたカウル装備モデルのCB750Fインテグラの75万円に対し、3倍以上も高額な雲の上の存在ともいえるバイクは、それだけに強い憧れを持ったライダーが多かった。

もちろん私もそんなライダーのひとりでしかなく、CB1100Rを手に入れようなどとは夢にも考えなかった。じつは当時の愛車のCB750Fに、バンク角を増すために角を落としたエンジンのACGカバーや、赤くペイントされたリザーバータンク付きのリヤショックなどCB1100Rのパーツを流用しようと考えて探したが、それすらもあまりに高額で手が出なかった。

そこで燃料タンクに貼ってある欧文のコーションステッカーを入手した。これもけっこう値が張ったが、そこまでしてCB1100Rの“雰囲気”だけでも味わいたかったのだ。

CB1100Rは1983年も継続販売され[RD型]となる。基本レイアウトはRC型を踏襲するが、フロントフォークに減衰調整機能を追加したり、スイングアームが角断面になるなど周りの強化や、レースレギュレーションに合わせたカウリング形状の小変更、エンジンやマフラーのペイントなど、いっそうの熟成・進化を遂げ、このRD型が最終モデルとなる。

この後ホンダはレーシングマシンやスーパースポーツ車を水冷V4型エンジンにシフトしていく。それゆえにCB1100Rは、空冷直列4気筒の頂点を極めたバイクとして、その存在が語り継がれていくのだろう。

筆者プロフィール

宮城光

1962年生まれ。2輪・4輪において輝かしい実績を持つレーサーとして名を馳せ、現在ではモータージャーナリストとしてMotoGPの解説など多方面で活躍中。2022年、バイク未来総研所長就任。