ワールドスーパーバイクチャンピオンを目指すレーサー、川崎祥吾選手に先輩レーサーの宮城光所長がインタビュー
公開日:2023.04.25 / 最終更新日:2023.06.27
バイクの未来に切り込んでいくコンテンツを発信する『バイク未来総研』。
今回はバイク王運営のBike Life Labが応援しているワールドスーパーバイクチャンピオンを目指すレーサー、川崎祥吾選手にバイク未来総研 宮城 光所長よりお話を伺いました。
レーサーとしての先輩でもある宮城所長からのアツいインタビューは必見です!
左:川崎祥吾選手 右:宮城 光所長
バイク未来総研とは
レーサー、川崎祥吾のルーツ
宮城所長(以下、宮城):本日はよろしくお願いします。
川崎 祥吾選手(以下、川崎):こちらこそよろしくお願いいたします。
宮城:まずは、川崎選手がバイクに乗り始めたルーツから探っていきたいと思います。お父さんは昔からバイクは乗ってるのですか。
川崎:そうですね、昔から250ccとかのバイクに乗っています。表立ったレースには出場していないみたいですが、ミニバイクレースに出ていたりと聞いています。
宮城:鈴鹿やつくばで走っていたのでしょうか。
川崎:そうですね。父から聞く話もつくばが多いですね。あとは桶川ですね。
宮城:鈴鹿とつくば、そのふたつを走っている人は皆速いですよね。
川崎:そうですね。そこが速ければどこでも早いみたいなイメージはありますね(笑)
宮城:そうすると、川崎選手は元々はお父さんの影響があってポケバイを始めた訳ですか。
川崎:そうですね、父方の祖母が千葉なのですが。その繋がりで千葉北ポケバイコースによく行っていました。
宮城:知ってますよそこ。走ってる子も皆速いですよ。
川崎:あそこでたまたまイベントみたいなものがあって、ポケバイ大会みたいなものがあったんですよ。
そこで3歳で「補助輪付きのバイクに乗ってみる?」と言われて。父からは「アクセル踏めば行ける行ける」というノリで始めました。補助輪付きではあったんですが「簡単じゃん」と思って楽しくなったのがきっかけですね。
そこから楽だし風も気持ちいいし、どんどんポケバイにハマっていった感じです。
宮城:なるほど。音とか振動とか、子供だと怖いと思うのですが、怖くなかったですか。
川崎:それはなかったですね。その頃はまだMotoGPとか大きなバイクのレースを見てなかったのもよかったのか、バイクに対して怖いという感情はなかったですね。
宮城:最初からバイクは面白いと思って乗っていたのですね。
川崎:そうですね。イヤイヤやらされていたというのもなかったので、楽しくて毎週のようにサーキット行って乗っていましたね。
宮城:なるほど。最初に乗ったポケバイは日本ライフですか。それとも74Daijiroですか。
川崎:日本ライフですね。途中から74 Daijiroに乗り換えました。フロントブレーキがあるからいいなと思って。
宮城:選手権みたいなのに出だしたのは何歳の頃でしたか。
川崎:レースに出たのは、4歳か5歳の頃ですね。千葉北ポケバイコースの5歳以下のジュニアチャレンジというレースで出ました。それで勝てて余計に気持ち良くなってきた感じです。
宮城:周りも喜んでくれますしね。お父さんからしても嬉しいですよね。ポケバイは最終的に何歳まで乗りましたか。
川崎:小学5年生くらいでしょうか。結構長い事乗っていたと思います。
宮城:そこからミッション付に乗り換えていく事になるのですか。
川崎:はい。NSF100に乗りました。
宮城:4ストロークのですね。
川崎:自分がキャリアとして乗ってきたのは全部4ストロークになります。
宮城:ポケバイの74Daijiroも速いし、フロントブレーキもついていますけど、実際にフロントブレーキは使っていたのですか。
川崎:74 Daijiroではフロントブレーキメインで使っていましたね。
宮城:そうでしたか。リアブレーキ、左ブレーキは使わずにですか。
川崎:そうですね。人それぞれだと思うのですが、自分の場合はライフから乗り換えた時に、
初めて右ブレーキになったメチャメチヤブレーキがかかったので「こんなフロントブレーキかかるんだ」と思いましたね。
宮城:それだとフロントブレーキが面白くなりますね。そこからNSF100に乗り換えた時はどんな印象でしたか。
川崎:その時、はじめてエンジンブレーキが怖いと思いましたね。
宮城:4ストロークですしね。
川崎:なかなかクラッチ離さなくて、コーナーの曲がるところでクラッチを繋いで滑って転ぶという事をやっていました(笑)
宮城:最初はわかりませんからね。
川崎:振動が来るものだとわからなかったのでびっくりしましたね。
宮城:小さなポケバイから比べたら車体が大きくなってきますからね。4ストロークの150ccに乗り換えてからチャンピオンシップは何か出場しましたか。
川崎:もてぎでST150というレースがありました。
宮城:もてロー(もてぎロードレース)ですね。
川崎:あとは鈴鹿でもありましたね。
宮城:東京から鈴鹿と言ったら大人でも大変なのに、学校も行って土日に鈴鹿に行ってというのは大変だったのではないですか。
川崎:“こどもあるある”ですけど、車の中で寝ちゃうので疲れというのはあまりなかったですね。僕はどこでも寝られるんです(笑)
宮城:睡眠もとれてリカバリーできた訳ですね。
川崎:学校、レース、どちらかが苦しくなるという事はなかったですね。
宮城:やはりスポーツ選手はどこでも寝られないとダメですね(笑)どこ行っても寝て食事もおいしく食べて、でないとなかなか世界で戦っていくのは難しいと思いますね。
世界選手権への想い
宮城:話は戻って、全日本選手権で出場するレースというとGP3とかになる訳ですか。
川崎:そうですね、GP3とかGP250とかですね。そのあたりの日本選手権は出場していなくて、ST150の次はセレクションに合格して、タレントカップに出ましたね。
宮城:日本国内ではもう走ろうと思わなかったのですか。
川崎:僕はあまり考えていなかったですね。全日本に出たいというよりも世界選手権に出たいという想いが強かったです。
宮城:それは何故ですか。
川崎:それはやはりMotoGPの影響ですね。かっこいい!速い!と憧れていましたから。「MotoGPライダーになるぞ」というのが子供の頃からの口癖でした(笑)
宮城:手ごたえもありましたか。
川崎:そうですね、勝つこともできていたので、気づいたら世界選手権しか目指していなかったという感じです。
宮城:僕くらいの世代になると中学英語とかでも全然話せるようにならなかったし、英語とかどうするの?って思ってしまうのですが。
川崎:学校の勉強だけだと話せないのでオンライン英会話で勉強していました。それでもなかなか話せるようにならなかったですね。話せるようになってきたのが国別対抗レースという、ST150で優勝した人が代表として出場するものがあり、タイと台湾に行った時に外国人のバディと呼ばれるパートナーがいて共に行動するんですが、その時、英語を話すしかないという状況に追い詰められて話せるようになりました(笑)
宮城:自分が速く走るためにスタッフからアドバイスをもらわなくてはいけなかったり、あと僕も経験あるけどライバルと喧嘩する時に言い返せなくなるので、無理矢理覚えましたね(笑)
川崎:わからないなりに話してみてなんとか話せるようになりました。
宮城:日本国内で走る分には家族がいるけど、海外となると親から離れる期間もあったと思いますがそれはどう感じていましたか。
川崎:昔から自由にやらせてもらっていたのであまり寂しいと感じる事はなかったですね。飛行機もヘルパーさんに乗せてもらって。
宮城:なるほど。時代なのかもしれないですが、僕の若い時は全然子供にそんな事はさせてもらえなくて、川崎さんがやられている事を僕は30歳過ぎてからやりだしていますから。
川崎:時代なのかウチだけ自由なだけか、どちらかですね(笑)
宮城:話はレースに戻りまして、タレントカップというのはどこの国を中心に開催しているのですか。
川崎:運営はヨーロッパなのですが、マレーシアとタイで開催していて参加して日本から都度行っていました。
宮城:その次はイタリアですか。
川崎:そうです。それも現地には住んでいなくて都度行っていました。日本から水曜くらいにイタリアに出発して日曜に帰ってきていました。
宮城:それはハードですね。僕なら学校サボっちゃう(笑)
川崎:日曜に帰ってきて月曜すぐテストとかの日は本当に行きたくなかったです(笑)
宮城:親御さんから学校とレースの両立については、どのように言われていましたか。
川崎:好きなことをやっているのだから、学校はしっかりと行くようにと言われ育ちました。
宮城:そうですね。何十年か経ってから頑張って行っておいてよかったと感じると思います。
時差ボケの対処
宮城:話はレースに戻りましてマレーシアとか東南アジア地区って時差が数時間ありますけど
調子は悪くならなかったですか。
川崎:どこでもすぐ寝ちゃうので飛行機で寝てもう体内時計狂っちゃうので、ある意味問題ありませんでした(笑)
宮城:現地時間で1日がリスタートするから問題ないですね。それはヨーロッパでもそうですか。
川崎:そうですね。何時間でもどこでもいつでも寝られるというのがあるのであまり時差も苦にはなってないですね。
宮城:それならヨーロッパでも問題ないですね。イタリアは何歳から何年行っているのですか。
川崎:2018年ですから高校1年からです。2020年はコロナで何もできなかったですが、その年以外はイタリアに行きました。
宮城:年間何回通いましたか。
川崎:6戦していますが年間にすると5回行きました。最後の2戦が近かったので続けて現地にいたので5回ですね。
宮城:イタリアの国内選手権はどのレースに出場しましたか。
川崎:全日本選手権のイタリア版のようなものですね。フランスだと300ccクラス、600ccクラス、1000ccクラスとGP3みたいなレースですね。
宮城:現地の選手はどうですか。
川崎:速かったですね。タレントカップよりバチバチ火花散らしていましたね。300ccのレースだと台数も多いのでレース中に肘を当ててきて「お前そっち行けよ」というような選手もいました。
宮城:「速かった」というのはどういうところがですか。
川崎:スピードが速くなると怖くなるのでブレーキングを早めにしようと思うのが普通だと思うのですが、そのタイミングが遅くてギリギリまでブレーキングしないですね。
周りの選手のリミッターの外れ方というか、度胸がタレントカップより一段階上だった気がします。
宮城:コースに慣れていて速いのか、スキルがあるのか、どちらだと思いますか。
川崎:そうですね・・。やはりコースに慣れているというのは大きいかなと思います。目をつぶっていても走れそうな人が多かったと思います(笑)
宮城:周りの選手に学ぶべきところは何かありましたか。
川崎:そうですね。初めて走る自分のブレーキングポイントと、走り込んでいる選手のブレーキングポイントが違うので、そこに持って行くのが大変でしたが。参考にしてブレーキングは鍛えられました。
宮城:ブレーキは面白いですか。
川崎:300ccの時に転機が来てブレーキを結構使わないといけないなと感じまして、スキルが一歩向上したと思えた時期でした。
宮城:リアブレーキは使いますか。
川崎:はい。結構使う派ですね。
宮城:僕も結構使いますよ。僕らの世代はあまり使わない人も多いですが。レースで上手い人は使っている人多いですよ。でなければ、そんなブレーキついてないですから(笑)
川崎:そうですね(笑)もっとスキルを上げていけるよう頑張ります。
日本とイタリアの選手権の違い
宮城:もう少しイタリアの話を聞いていきたいのですが、イタリア選手権はどういうきっかけで出るようになったのですか。
川崎:ポケバイ乗っていた頃にの自分のチームにいた人が大阪にいて、その人に会いに行った時にたまたまイタリア選手権を勧めていただける方がいて。
宮城:導かれるように決まっていった訳ですね。その後はどうなりましたか。
川崎:イタリア選手権で300ccクラスに参加して、3戦目でチャンピオン獲りに行くぞと意気込んでいたのですが、コロナでレースに行けなくなってしまって。
2021年にもう一度やり直そうと思って参加のチャンスを伺っていたのですが、話が二転三転して世界選手権の600ccクラスへの参戦が決まって出る事になりました。
宮城:ところで大型二輪の免許は持っていたのですか。
川崎:いや、持っていなかったです(笑)
宮城:そうなのですか!でも、600ccを打診されたら「乗ります」となりますね。
川崎:ブレーキングなどのバトル面でのスキルはイタリア選手権の300ccのレースで培えていましたが、600ccとなると車体の動かし方というのを学べていなかったので良い経験になりました。
宮城:600ccとなると車重も170キロ位になってその質量での接近戦、その中でのブレーキング競争やミスをした時のリカバリー、失敗した時の代償の大きさ等、すべてが変わってきますよね。
川崎:そうですね。少しの身体の動きでバイクの挙動が大きく違うと感じます。
宮城:身体が振られた時に小さいバイクだとパッと止まるけど、大きいと残りますね。
川崎:それが大変ですね。頭ではわかってはいるのですが、まだまだ経験をしていかなければと思っています。
宮城:600ccは何大会くらい走りましたか。
川崎:ワールドスーパーバイクの世界戦で7戦か8戦です。
宮城:ワールドスーパーバイクに出場するトップの選手は強烈ですよね(笑)
川崎:いやぁ、速いですね。
宮城:そこの選手もすごいですが、イタリア選手権600ccの選手もすごいですよね。
川崎:日本のST600も凄かったですが、イタリアの600ccもやはりすごいですね。
宮城:600ccで比べた時、日本とイタリアの違いはどういうところと感じますか。
川崎:イタリアの方がより、上位のタイムの中に何十人いるので、まんべんなくレベルが高い感じがあります。
宮城:なるほど。日本だと下位から上位タイムに分散しているけど、イタリアだと上位の中で争いをしている人が多い、という事ですね。それは何故なのでしょう。
川崎:イタリアの方が(実力の)底が上がっているという事だと思います。予選でも決勝でも0.1秒でも縮めようという結果への貪欲さが違うように思います。
宮城:ワールドスーパーバイクのチームはどういうチームですか。
川崎:イタリア選手権で300ccやっていたチームがそのまま600ccに行った感じです。
宮城:それなら良く知っている選手ばかりですね。同じチームでライバルはいたのですか。
川崎:はい、ベテラン選手ですがミッシェル・ファブリツィオ選手です。
宮城:彼から何か教えてもらったりはしたのですか。
川崎:そうですね、トラックウォークを一緒に走ったり、走行についてアドバイスをもらったりしています。
宮城:そうでしたか。話を聞いているだけど、昔を思い出してワクワクしてきますよ。ワールドスーパーバイクは一昨年の話で2022年はどのように過ごしていましたか。
川崎:2022年からイタリア選手権の600ccに戻ってまたやり直そう、という事になり、今年もそれを継続しています。
宮城:ワールドスーパーバイクの600ccというのはイタリア国内でも熾烈な争いですか。
川崎:イタリア選手権のトップが世界選手権と日本選手権の間くらいです。平均的に実力が高い選手がやはり世界選手権には多いと感じます。
ただ、イタリア選手権でトップ取れるライダーは世界選手権でも安定して結果出ていると思います。
宮城:ヨーロッパに行ってからのベストリザルトは何位でしょうか。
川崎:クラス関係なくでしたら7位になります。何度かウオームアップとか予選で1位くらいに入るレースはあるのですが、イタリア選手権の300ccでは何度か本選で3位を走っていて転倒したり、悔しい想いをした事が何度かあります。
宮城:レースでも果敢にチャレンジはしていかないといけないですが、守っていくところは大事に守りに入ったりしたり、バランスが難しいところではありますね。
川崎祥吾選手のトレーニングについて
宮城:普段のトレーニングはどのような練習をされているのですか。
川崎:イタリアで基本的に生活はしているのですが、朝はイタリア語の語学学校に通って午後からトレーニングを始めています。自宅が山にあるので、ランニングと自転車で登って降りてというのを繰り返したり、ジムでトレーニングに行きまして、週末にチームでバイクの練習をしています。
宮城:ランニングは骨を痛める可能性がありますので、慎重にやった方がいいかもしれませんね。自転車で心拍数数を上げていれば問題ないと思いますね。イタリアでは普段からバイクの乗れる環境ですか。
川崎:免許を持っていないので、どうしても一緒に行ける人の都合になってしまうことがありますので週末のみになってしまいます。
宮城:毎日は乗れないのですね。
川崎:そうですね、そこまで近くに練習場がないのです。
宮城:少しでも練習できる環境は大事ですから、バレンティーノ・ロッシ選手のモータランチ(バイク練習コース)の近くに住んで、「メンバーに入れてくれ」とお願いするのもアリだと思いますよ(笑)
川崎:ロッシ選手の練習コースまで遠くはないですね(笑)
宮城:それ、ぜひ行きましょう!でも毎日バイクに乗れる環境はほしいですよね。
川崎:そうですね、環境面ではそれが夢ですから何か考えるようにしたいと思います。
川崎祥吾選手 今後の目標
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宮城:当面の目標はどのように設定されていますか
川崎:昨年チャンピオンを獲ったチームに移籍することになり、チャンピオンのライダーもチームメイトでまだ在籍しているので色々学びながら来年には確実に優勝できるくらいまで実力をつける事が目標です。
宮城:そのライダーの方とは話したことはありますか。
川崎:オンラインでしかまだ話した事しかないのですが、結構年上で物腰も柔らかくていい人ですね。
宮城:そこから学びがあるといいですね。最終的にはワールドスーパーバイクを目指しますか、それともMotoGPを目指しますか。
川崎:僕はワールドスーパーバイクですね。プロダクションバイク(一般車両をベースとしたレーシング仕様に近づけたバイク)とレーサーバイク(レースに出る事を目的として作られたバイク)では、プロダクションの方が合っている気がするというのがひとつの理由です。
ワールドスーパーバイクが2レース制なので、参加していたタレントカップが2レース制で自分とのリズムが合うという点ですね。あとはワールドスーパーバイクのパドックの雰囲気がファンとの間の距離も近くて好きというのも大きいです(笑)
宮城:自分に合っているのですね。チームの仲間同士はファミリーのような感じでしょうか。移動も一緒にしたりするのですか。
川崎:そうですね。仲間同士の繋がりを大事にしていて温かいですね。
宮城:将来、契約したいメーカーはどこでしょうか。
川崎:いずれカワサキに乗りたいと思っています(笑)
宮城:走りを見ると乗りたいと思いますよね。名前も同じですし。
川崎:やはりカワサキはシビれますね!(笑)
宮城:声を大にして言っておいた方がいいですよ!
川崎:カワサキさん、よろしくお願いします!(笑)
川崎祥吾選手から宮城光所長へインタビュー!
川崎:逆に僕から宮城さんに質問させていただいてよろしいでしょうか。
宮城:はい、大丈夫ですよ!
川崎:宮城さんのキャリアの事なのですが、全日本選手権の後、全米選手権に出たのは何故なのでしょうか。
宮城:いい質問ですね(笑)僕は91年に交通事故で大怪我をしたんですね。当時僕は27歳位でしたが、30歳位でレースは引退と言われていた時代でした。
それに加えて、当時、バブルも崩壊して経済が不安定というのもあり、27歳位で雇ってくれるチームはどこもなかったのです。
日本でやっていても仕方ないという状況でしたが、でも世界グランプリは何のツテもないし、それならアメリカで戦いたいという気持ちがあった。それで知り合いで日本とアメリカでチームを持っている人がいて、そのツテならバイクに乗れるという事で渡米を決意しましたね。
川崎:そうでしたか。なるほど。
宮城:アメリカは良かったですよ。日本だと元ワークスライダーとか色々言われたけど向こう(アメリカ)に行ったら誰も僕の事なんか知らない。そこから先は上がっていくだけですよ。
アメリカは実力主義なので、僕のような事故を起こして失敗した人間でも、実力を見せれば引き上げてくれる所があります。その人情味があるのはアメリカの良さですね。
川崎:実力さえ見せれば、の世界なのですね。
宮城:中途半端な実績だと難しいですが、しっかりと結果を出して、今速ければどんどん乗れと言われる、そんな世界ですね。
川崎:レーサーとして、ライディング面やアスリートとしてどういう所を宮城さんご自身、強みだと感じていらしたのですか。
宮城:性格がしつこいので、それが強みかなと思っていますね(笑)レースというプログラムに対して、どういう準備をすればよいかわかるようになってきたのは10年、20年やってからですよ。
長くしつこく継続していって経験が蓄積されていき、この経験は4輪になってからもだいぶ役に立ちました。若い時は全体の流れを作れなかったので、後半大怪我したりもしましたが、しぶとく続けた結果、緻密な準備をできるようになりましたね。
川崎:経験を活かしていったのですね。
宮城:そうです。たとえば日曜日のお昼からレースだとしたら、その手前で何をすればよいかというのを考えたり、とか。
川崎:なるほど、参考になります。
宮城:先程もバイクに乗れる環境について伺いましたが、僕の場合は雨の日でも毎日バイクに乗れる環境を作って練習しました。
自分と同じ人間がもう一人いたとしたら、1日24時間あって、より長い時間練習した方が当然勝ちますよね。
練習できないから負ける、というのが嫌でバイクのプロになるなら誰よりもバイクに乗ってやろうと思っているんです。
川崎:まったくその通りですね。質問は尽きないのですが、現役時代バイクに乗っての練習以外にトレーニングは何かやられていましたか。
宮城:そうですね、ジムでトレーニングをしていましたよ。毎日朝6時からバイクに乗っていました。環境の話ですが、一人だとどうしてもサボっちゃうと思ったので、同じチームの後輩に練習に誘いに来させるようにしていました(笑)
川崎:なるほど!そうしたらサボれなくなりますよね。
宮城:そうです。また、自分がサボったら後輩が自分より速くなってしまうと思うと余計にサボれなくなる、という訳です。
川崎:なるほど、勉強になります。
宮城:練習量というのは自信になりますから。あとは手に余る大きなバイクに乗って練習するというのをやっていました。
操るのが大変な大きなバイクの方に乗っておけば、後から小さいバイクに乗っても大変ではなくなる、というイメージです。
小さいバイクなら身体をふられても止まりますが、大きいバイクは止まらないから、よりスキルが要ります。
川崎:確かにそうですね。600ccで上手く乗ることができれば300ccは楽に感じます。
宮城:いまだに練習で林道を走る時は、つまさきが届かない950㎝くらい車高があって車重200㎏位あるバイクに乗っていますよ。
川﨑:そうなのですね・・。
宮城:あくまで僕の時代の話ですから、参考程度に聞いてもらえればと思います。多くの先輩レーサーから色々な話を聞いて自分に合ったものをやっていくとよいと思います。
川崎:とても参考になりました。ありがとうございました。
宮城:インタビュアーが逆になってしまいましたが(笑)川崎選手、これからの活躍を期待しています。こちらこそありがとうございました。
川崎祥吾さんHP
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