ヤマハ ドラッグスター 400/C -唯一無二・時を超える本家「日本のアメリカン」-
公開日:2023.03.06 / 最終更新日:2024.08.17
ハーレーダビッドソンという大ブランドの存在を、当時日本のメーカーはどんな目で見ていたのだろう。
様々な試みがなされ、それでも何かを確立できずにいた、という時代が続いた。ドラッグスターが生まれるまでは。
ジャメリカンと和メリカン
国産バイクの歴史は、高性能化を追求する歴史でもあった。
欧州のバイクに追いつけ追い越せの60~70年代を過ごし、80年代に入るとレプリカブームが到来してさらにその傾向は強まっていった。
もちろん、高性能車一辺倒ではなく、テイスティな乗り物も模索された。
かつては4気筒のスポーツバイクにキング&クイーンシートやアップハンドルなどを付けた、ホンダの「カスタム」、ヤマハの「スペシャル」、カワサキの「LTD」といったシリーズもあったが、しかしこれらはリラックスした姿勢をしたツーリングにも使いやすい乗り物ではあったものの、ハーレーが確立していたクルーザーの世界、いわゆる「アメリカン」ではなかった。
アメリカン≒ハーレーっぽい、イイ感じのクルーザーを作ろうという気持ちは確かにあった。
ヤマハはXVシリーズ、ホンダはNVシリーズなどを展開し、なんとかその分野を確立しようと試みていた。
それらモデルはそれぞれ魅力があっただろうが、しかし確固たる地位を初めて築いたのは、このドラッグスターではないだろうか。
スティードとは違う、空冷Vツイン
ドラッグスターの前にも、ヤマハではビラーゴシリーズが存在した。
これは535ccの輸出仕様もあり彼の地でも人気があったというが、国内のビラーゴは一定の支持層は獲得しながらもやはりメジャーでバカウレ!というものではなかっただろう。
ホンダからはスティードシリーズが600ccと400ccで展開。
600に至っては旧スポーツスター同様に4速ミッションの設定だったのだからよほどハーレーを意識していたのだろう。
スティード400は国内でも支持を集め、ドラッグスター前夜は多くのライダーに認知されていた王道「アメリカン」だったかもしれない。しかしスティードは良くも悪くも水冷だったのだ。
ドラッグスター400の登場は96年。バイクバブルもひと段落して、ネイキッドやトラッカーといったモデルが一般化したころで、ヤマハは長らく続けてきたビラーゴブランドを一新する気持ちだったのだろう。
どこかドラッグレーサーっぽさもあり、実は出力もしっかりと40馬力を発揮ししかも軽量だったビラーゴから、もっとロー&ロングで重厚な「王道アメリカン」を目指したのがドラッグスターだった。
その証拠にパワーは33馬力にダウン、トルク値も3.5kg-mから3.3kg-mへと減少している代わりに、車重は178kg(初期型ビラーゴ400)から大幅増の204kgなのである。
XVシリーズはビラーゴを名乗る前から、クルーザーではなくあくまでVツインスポーツだったわけだが、そこからは完全に決別し清く正しく「アメリカン」として生まれ変わったのだ。
400だから良かった
これまで数々のクルーザーモデルがもう一つ大成功を収められなかったのは、ハーレーを意識し過ぎて大排気量展開をしていたから、というのも一因だろう。
しかしドラッグスターは日本独自の排気量設定である400からスタートした。
しかもスティードと違い空冷Vツイン。ハーレーは45°、スティードは52°という挟角Vツインが主流の中、ドラッグスターはビラーゴから引き継ぐ70°Vツインを採用した。
Vバンクが広いとアメリカンとしては間延びしてしまいそうなものだが、ドラッグスターはロー&ロングのスタイリングやモノショックをシート下に隠すソフテイル的フレームとの組み合わせで、むしろ低く構えた迫力のあるスタイリングを実現。
かつ初期型は鮮やかなオレンジとしたことでなお注目を集めた部分もあるだろう。
より排気量の大きな兄貴がいなかったことによって、ドラッグスター400は孤高の存在となり、クラス唯一の空冷Vツインというのもアピールとなった。
登場直後から人気を集め、4年連続でベストセラーを記録したのだった。
焼き直しではない確かな性能
ビラーゴよりもパワーダウンし重量も増えた、という数値を見ると、だったらビラーゴの方がいいのでは? とも思いそうだが、実はドラッグスターはかなり作り込まれていた。
ビラーゴから引き継いだのはクランクケースぐらいのもので、シリンダーにはアルミメッキシリンダーを採用、ピストンは新たに鍛造品を奢っていた。
スロットルポジションセンサー付きのキャブレターも採用することでパルス感の楽しめる設定となっていたし、これらリファインによって馬力もトルクも発生回転数を下げ、アメリカンらしいフィーリングを実現していたのだ。
ホイールサイズはビラーゴから引き継ぐフロント19・リア15インチ。ブレーキは2ポッドキャリパーとするなど時代に合わせた確かなアップデート。
駆動はシャフトドライブで、90年代後半~00年代の、乗りっぱなしストリートユーザー(筆者)、もしくはオシャレユーザーにとってはチェーンのメンテがなかったのはありがたかった。油ハネがなく磨くのも容易だったし、シャフトドライブは巻き込みなど無いため安全性も高かったのだ。
モデルチェンジはほぼせずに20年
ドラッグスターシリーズはその人気から、99年には1100が追加され、さらに翌年には250もラインナップするなど充実したが、400版は最初の姿のままほぼモデルチェンジせずに生産され、売れ続けた。
98年にはフロントに16インチのファットタイヤと前後ディープフェンダーを装着し、フォークにもカバーがついた「ドラッグスタークラシック」が追加されたが、この2ラインナップでほぼカラーリング変更のみで生き続けた。
2009年には規制対応でインジェクションを採用したが、水冷化することはなく美しい空冷フィンを保ったまま20年強のモデルライフを終えることになった。
ドラッグスター400の思い出話を少し
当時を振り返ると、後輩がディープフェンダーのクラシックの方を新車購入したことが印象的だった。250ccモデルに乗る仲間がほとんどの学生時代、この後輩が買ってきた「DSC」は巨大で、美しい塗装にクラスレスのクオリティを感じたものだ。
とはいえ空冷のVツインだし、アメリカンなわけで排気量差こそあれ我々のスポーツバイクとツーリングに行くのは辛いのではないか、との心配は、無用だった。堂々とした殿様乗りのまま、大きなステップボードをガリガリと地面に擦り付けつつ、ワインディングでも元気についてきたのだった。
当然「ちょっと貸してみ」と乗ったわけだが、250ccのトルク感に慣れている身からすると低回転からのトルクフルな性格とホイールベースが1610mmもあるとは思えない素直なハンドリングに驚いたものだ。
あれだけ売れて、あれだけ多くの人が接した「ドラスタ」。中古車は飽和状態かと思いきや、現在でも安定した人気を保っている様子。普通二輪免許で乗ることができ、堂々とした佇まいながら素直な操作性を持ち、そして安心の足つき性能となればその魅力はタイムレスなのだろう。初の本格的国産400cc「アメリカン」は正しく「名車」だったのだ。