「絶版車」というくくりは非常に大きい。
今も人気車種として取引され続けているモデルの多くは70年代以降に生まれたものが多いが、しかしそれより以前から国産バイクはたくさんあったのも事実だし、絶版車という意味では年式が旧ければそのぶん先輩である。

新テーマ1回目は、「モノクロ時代」のバイクを見て行きながら、国産バイクにおけるマイルストーンを取り上げていこう。

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ヘンリー・フォードの心意気

古い写真は皆モノクロで、カラーの写真が一般的に出回り始めたのは1970年前後ではないだろうか。

では1970年以前の世の中には色がなくて、モノクロだった……のかもしれない。
何せそれ以前はカラーで写真が残っていないのだから、証拠がない。カラーの絵画はあるものの、それだって想像で書いたのかもしれないし、当時はカラーで書いたつもりはなくあくまでモノクロで書いていて、1970年ごろに人類の眼球が進化してカラーで物を捉えられるようになったのだ。

という絵本を読んだことがあった。
かつて自動車会社フォードの創始者ヘンリー・フォード氏は販売する車について「黒ならば何色でもいいぞ」と言ったそう。
あの絵本のように1970年ごろまで世の中に色が存在しなかったということはないだろうが、少なくとも乗り物をカラフルに塗ろうという考えはあまりなかったのだろう。
乗り物として、機械としての技術追求が第一で、競争も激しかったはず。

そんな時代に「色」なんて重視されなかった要素だろうし、そもそも美しい発色をしつつ耐久性も確保できる塗料が現実的なコストで施せなかったなどの都合もあったかもしれない。

1960年代までの国産車と言えば、まだ今の4メーカーに絞り切れてはおらず、例えば今はタイヤメーカーとなっているブリヂストンや、スクーターのラビットシリーズで知られる富士重工、東京発動機「トーハツ」なども現役だった。

今ではもう現存しないメーカーなんて、もはや「絶版車」の枠に納めてよいものか。
これはもう、ビンテージ? バイク遺産? としてもうワンランク上の立ち位置にしてあげたい気もする。

1960年代までのバイク、もちろん中には黒ではないモデルもあるが、1969年にキャンディカラーのCB750フォアが出る以前のモデル達を「モノクロ期」とくくって、CB750までの60年代を語ってみよう。

4気筒前夜、主役はパラツイン

1960年代までは、バイクと言えば英車、そしてアメリカのハーレー。
もちろんドイツ車やイタリア車なども存在したものの、イギリスではレースに熱狂する人が多かったことや、広大なアメリカではダートトラックを楽しむ文化があったことから、ハイパフォーマンスなバイクと言えばトライアンフやノートンといった英車だったろう。
そしてそれらは主に500ccシングルや650ccのバーチカルツインだったのだ。

パワーもあって軽量で、不整地では地面を蹴っていくトルクもあって、かつMVアグスタのような極プレミアモデルではなく一般にも販売できる価格帯で展開できたという意味で、このバーチカルツインが最もバランスが良かった。
公道レースに湧くヨーロッパはもちろん、ダートトラックではトラクションも良好でアメリカでもこれら英国車がメインとなっていた。

今の世の中で再びパラツイン全盛になっているのは面白い現象だが、この英車たちがスタンダードだったからこそ、この時代の日本車もパラツインで勝負したということがあるはず。
69年のCB750フォアが出るまでは、パラツインこそが主役だったのだ。

ホンダ:極スポーツから打倒英車へ

ホンダは59年にドリームCB72という極スポーツモデルを発売。

これは英車の模倣という感じではなく、あくまで純スポーツとしてパフォーマンスを追求したもので、マン島などで活躍した小排気量精密機器としての日本車のアピールだった。
「モノクロ期」などと書いてきたが、CB72は赤いフレームが特徴的でパフォーマンスを誇示するかのようだった。

CB72は絶版車の枠で考えると難しい立ち位置だ。エンスージアストが所有し、エンスージアスト間で取引され、あまり市場に出てはこないし出てきても価格設定が大変難しい。
70年代の人気絶版車に比べればとてもリーズナブルに思えることもあるし、一方でエンスーが過ぎてちょっとマニアな世界でもある。
ホンダの、4気筒前夜の純粋なスポーツマシンとしては大変魅力的なモデルであることは間違いない。

もう少し時代が進むと1965年にCB450というモデルがあった。
こちらになると完全に英車を意識したもので、「ホンダが作れば450ccで十分!」という、ライバル意識全開のモデルだった。
英車とは違いDOHCのバルブ機構を持ち、最高出力は8500RPMで発揮。
輸出仕様では360°クランクのものもあったが国内は高回転域が元気に回るとされる180°クランクだったのも面白い。

性能という意味では確かに当時の英車を超えたとされている。
高回転まで精密に回ってしっかりとパワーを絞り出すという日本車らしい作りだ。

しかし、ヨーロッパやロードレースの世界ではそれでも良かったかもしれないが、ダートトラックではむしろ高回転はあまり回らず、常用域で豊かなトルクを持つ650ccの英車がまだ優位だったようだ。
また一般道を走るにも特に広大なアメリカでは排気量の余裕がありがたいところ。
大きなマーケットであった北米においてはその絶対性能とは裏腹に、大きなヒットにはならなかったとされ残念である。

なおこのCB450、今乗るとさすがに「旧い」と感じる。
当時は高回転域まで良く回るとされていたが、今の感覚ではフリクション感が多く、また4速ミッションということもあって「旧車」感が高い。
まさにCB750フォア以前のモデル≒「モノクロ期」といった雰囲気だ。

CB450
絶版ホンダの頂点はCB750フォアかもしれないが、こちらCB450も忘れてはならない、ホンダが世界に打って出た力の入ったモデル。
650ccの英車ライバルに対して、「ホンダなら450ccで十分」と言ってこの排気量設定にしたと言われている。
DOHCエンジンで高回転仕様を求めたが、高回転パワーよりも常用域トルクを求めた海外市場では残念ながら思うようなヒットにはならず。
しかし今は海外で多くのエンスーに大切にされている歴史的車両だ。写真は1970年モデル。

そして69年に世の中は一変する。CB750フォアの登場である。この時点でもう、今のバイクの原点ができているといっても良いだろう。
かつて少量の生産やプロトタイプ、プレミアムレーサー的な4気筒は存在したものの、4気筒の量産市販車という意味では世界初だったはず。
そして38万5000円で売られたという、性能に対する廉価な価格設定も世界的メガヒットへと繋がった。

CB750フォアはSOHCヘッドやドライサンプによる低重心さや、今の目で見るとコンパクトな車体と意外やクイックなハンドリングで確かなスポーツバイクだった。
世界耐久選手権での「無敵艦隊」の活躍も記憶している人がいることだろう。スムーズでパワフル、ダイナミックでいて小回りも効く。
高速道路でも過不足ないチカラを持っていながら、細かな舗装林道的ワインディングでもめっぽう強い。本当に良きバランスの名車である。

しかしCB750フォアがその性能とは別の所で確かな「マイルストーン」となったのは、その使い勝手だろう。何せ、セルスターターがついていて始動が容易だった。
キャブだってかつての英車のようにティクラーを操作して……といったことはなく、すぐにエンジンがかけられた。
ブレーキはディスク。シフトペダルは左側・ブレーキペダルは右側。それまでの大型車が持っていた儀式めいた事柄が排除されたと言っても良いだろう。
おかげでより一般的に、大衆が大排気量バイクというものに乗れるようになったのだ。現代バイク史は確かにここから始まったのだった。

CB750フォア
まさに国産バイクのマイルストーンであったCB750フォア。
4気筒エンジンがもたらす性能はもちろんのこと、セルスターターの装備やディスクブレーキの採用など、より多くの人が安心して乗れる構成をしていたことが当時のライバルであった英車勢を突き放した大きなポイントだろう。
初期型はサイドカバーが張り出しているため足つきが難しいことや、アクセルが重いことがマイナス点として語られることもあるが、それでも初期型のK0は歴史的価値からして大きな存在である。

カワサキ:名車Wから2ストで勝負へ

「モノクロ期」が良く当てはまるのがカワサキだ。
後にカワサキと併合するメグロというブランドがあったが、これが国産初の650cc「セニア」や、500cc「スタミナ」シリーズなどで英車を模したモデルを展開。
50年代の話であり、まさにバイクは皆モノクロだった。そのメグロとカワサキが力を合わせ、メグロK2の500ccを8mmボアアップしたOHVツインが最初のW1である。

W1はOHVツインであること、360°クランクであること、ミッションが別体であること、シフトペダルが右側でブレーキペダルが左側にあることなどなど、徹底的に英車を研究し、模倣し、同じ土俵で英車以上のものを作り上げる努力を注ぎ込んだモデルだった。
当時国産車トップの45馬力を発揮し、にわかには信じられないが最高速も180km/h付近をマークしたという。
CB750フォア前夜、Wは確かに世界に日本車の性能の高さを示したモデルだった。

特にアメリカではこういったバイクのニーズが高く、66年の輸出開始から世界的なヒットへと繋がった。
W1は71年に今と同じ左側シフト右側ブレーキのペダルへと改められたW1SAにチェンジし、Z1登場後もW3までモデルチェンジを続けた。

ホンダなどライバルは小排気量からスタートし徐々に大排気量車も手掛けるようになったが、カワサキはメグロという存在のおかげでスタート地点から大排気量車を手掛けていた希少なメーカーだ。
今でも「大排気量ならカワサキだろう」とおっしゃるベテランエンスーの方々がいらっしゃるが、こういった背景があるだろう。

Wは今乗っても大変魅力的なモデルである。
現在ではごく少数となった360°パラツインのエンジンは非常に魅力的で、低回転域から力強くコンパクトな車体を驚くほど機敏に走らせる。

腹に響く排気音だが、360°クランクのそれはとても洗練されていて、一般人含めより多くの人に受け入れられやすい排気音質にも思える。

ハンドリングも素直、ペダル位置が改められたW1SA以降ならば気負わず乗れる名車だ。
ただキックスタートであることやチョーク/ティクラーの操作など、始動にはコツが要りCB750フォアに比べるとより真摯な愛情を注ぎながら走り出す感覚が強く、エンスー度合いは確かに高い。
しかしそれを乗り越えてでも、旧車が好きならば是非とも一度乗って欲しい素晴らしい一台だ。

W
メグロと合併したことで、そのスタートから大排気量車を手掛けるメーカーとして躍進したカワサキ。Wは英車を模しつつカワサキ/メグロの技術を投入し、指標となった英車を超える性能が与えられた。
360°クランクのエンジンが発するまろやかなトルクと腹に響く排気音を魅力に感じるライダーは多い。
W1SAからはシフトペダルが今と同じ左側(ブレーキは右側)へと移され、格段に扱いやすくなる。ただ始動はキックのみで、キャブにはまだティクラーがあるなど、60年代色はまだまだ濃い。

W1S
W1SA

カワサキはWの成功で一躍トップメーカーとしての地位を確立したが、次なる一手はなんと大排気量2ストロークに求めた。
1969年、CB750フォアと全く同時期に発売された500SSである。2スト250ccの「A1サムライ」の海外での人気も後押ししたのだろう、大排気量クラスで世界最速を獲りに行くのに選んだのは2ストのトリプルだった。

ゼロヨン12秒4という加速力で世界を席巻し、全開加速ではフロントタイヤが浮きまくるという車体と合わせて数々の伝説を生むことに。
CB750フォアが洗練の4スト4気筒なのに対して、こちらはじゃじゃ馬の極端なモデルとして歴史に刻まれた。

このトリプルはモデルチェンジを繰り返して、大小の排気量違いの兄弟車も多数登場するが、こと500SSに関しては本当にじゃじゃ馬だ。
低回転域のトルクを使って走る分にはある程度普通に走らせられるが、パワーバンドに入った時の振動たるや尋常ではなく、ハンドルグリップをいくら握りしめても掴んでいる感覚がないほど。

そしてフロントタイヤがフワフワとしながら猛烈に加速し、ミラーには真っ白な煙……。なんともドラマチックである。
ただブレーキ性能は心許なく、またステップが大きく飛び出しているためバンク角も少なめで、CB750フォアのように今の感覚で乗ることは難しい。
世界に与えたインパクトは相当であり、カワサキの、そして日本車の確かなマイルストーンにはなっているが、しかしちょっと極端なモデルだったと言えるだろう。

500SS
マッハの愛称で親しまれた、世界最速を目指して作られたカワサキ2ストトリプル。
洗練のCB750に対してこちらはもっとがむしゃらに「最速」を追求したような構成で、エンジンの激しさ、車体の頼りなさ等全てがドラマチックで旧車愛好家からするとたまらない。
ただCB750フォアと同じ年式だとは思えないほど「旧車感」が強く、今の感覚で乗れるかと言えばちょっと覚悟が必要だろう。

ヤマハ/スズキ:大排気量前夜、2スト小排気量の時代

ホンダ/カワサキが着実に打倒英車、海外進出へと舵を切り国産の大型車を模索しているなかで、ヤマハ/スズキの60年代は少し出遅れ感があったかもしれない。
スズキはまだまだ2ストロークメーカーであり4ストロークは手掛けておらず、フラッグシップと言えば68年登場の2ストツイン「T500」。
これまた速いし素直だしで良いバイクなのだが、翌年登場のCB750フォアと500SSと比べてしまうと、当時は話題性に乏しかったのだろう。

対するヤマハは70年に入ってから初の4ストローク大排気量車XS1を投入。
OHCの360°クランクエンジンがこれまたもの凄く扱いやすくかつ速く、Wを正常進化させたような名車なのだが、しかし60年代まではヤマハもやはり2ストロークメーカーであり、大排気量車を積極展開はしていなかった。

XS-1
厳密には60年代の車両ではないが、世の中の大排気量化の流れの中で60年代からヤマハは同社初の4スト車となるこのバーチカルツインを開発していたということになる。
OHVではなくOHCにした元気なエンジンや、全体的なスリムなフォルムでCB750フォア登場以降もファンを獲得し続けた。
特に後に出たEモデルにはセルも付いたことで、大変洗練されたバイクというイメージ。
ヤマハが4気筒に手を出すのはまたずいぶん後の話だ。

ヤマハ/スズキの60年代のトピックはオフ車だろう。
強みである2ストロークを活かし、ヤマハはトレール250DT-1を、スズキはハスラー250をそれぞれ68年に発売している。
この2台はそれまでのオフ車の概念をひっくり返し、今でも続くナンバー付のオフ車≒トレール車の礎を築いた。

軽量でパワフルなエンジンに軽量車体、「不整地も走れる」ではなく、レーサーの技術をフィードバックして「積極的にオフロードを走る」パッケージとした。
チューニングパーツやキットパーツも用意されたことでポテンシャルアップも容易で、モトクロスブームを引き起こすに至った。

DT-1
CB750フォアが現代の大排気量スポーツバイクの原点ならば、このトレール250DT-1はトレール車/オフ車の原点でありこれまた確かなマイルストーンである。
DTブランドはその後も長く愛されオフ車の代名詞にもなっていったが、忘れてはいけないのが同年デビューのハスラーであり、こちらもまた本格オフの先駆けだった。
ハスラー/TSという名前もまた、長く愛されるブランドへと成長していった。

助走期間の「モノクロ期」、ココから日本車は飛躍する

「絶版車」と聞くと、どうしてもバイクがカラーになってからのCB750フォア以降の70~80年代車をイメージすることが多いかと思うが、90年代のバイクでも今や立派な絶版車であるし、同時に60年代車もまた、日本車の出発点とも言える名車がある。

歴史は一つに繋がっているのだ。次号から年式を追いつつ、日本車の歴史に刻まれたエポックメイキングなマシン、各時代のマイルストーンモデル達を紹介していく。

筆者プロフィール

ノア セレン

絶版車雑誌最大手「ミスターバイクBG」編集部員を経た、フリーランスジャーナリスト。現在も日々絶版車に触れ、現代の目で旧車の魅力を発信する。
青春は90~00年代で、最近になってXJR400カスタムに取り組んだことも! 現在の愛車は油冷バンディット1200。